· 

年男 大いに語る 丑年①

「丑年はどんな年になる?」

 十二支の動物の中で最も動きが緩慢で歩みの遅い丑(牛)の年は、先を急がず一歩一歩着実に物事を進めることが大切な年と言われています。

 また、十二支の2番目の干支であることから、子年に蒔いた種が芽を出して成長する時期とされ、まだ結果を求める時期ではなく、結果につながる道をコツコツと作っていく基礎を積み上げていく時期とされます。

 丑(牛)の年は、黙々と目の前の自分の仕事をこなすことが将来の成功につながる、と考えるとよいようです。

「丑年生まれの人はどんな人?」

 穏やかでおっとりとした雰囲気を持つ人が多いですが、強情で固定観念が強く頑固な一面も。

 また物怖じしないおっとりとした牛のイメージどおり、常に落ちつていて何事にも動じないという長所があります。

「これからも自然体で」

木下 親亮君

(昭和12年5月生まれ)

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。

きょうは年男の卓話ということで、干支の話しは抜きにして私の生い立ちの一部の中から話しをさせて頂きます。

 

 昨年の暮れ、追手町小学校より、開校150年、現校舎設立90周年を記念してと言うことで、歴史と、私が入学した当時、昭和19年頃と、昭和22年の飯田の大火の頃を、中心に学校生活と社会の様子の想い出話しをとのことで、児童の皆さんにお話しをする機会があり、その為に、資料を探したり、郷土史の本を読んだりしている内に、私は、ロータリーの会員の皆さんとは少し違った環境と歴史を持った家で育ったことに気付きました。

 

 現在の私の家からは「ピン」とこないかも知れませんが、大火前の家は、土蔵塀に囲まれた現在の敷地より倍もある家で二階の仏間だけでも6畳位あり、奥座敷は32畳、前座敷は24畳と庭のある大きな武家屋敷でした。一階は半分位が印刷工場でしたが、玄関は大黒柱のある土間でした。未だ記憶の中に残って居ります。

 

 そんな中で、一つ二つ歴史に残る話しが今でも書籍・写真に留められているものもあります。

その一つに祖父は自由民権運動をする中で印刷機を購入し、後には第一回普通選挙(衆議院議員選挙)が昭和3年5月に行なわれ、我が家が憲政会より立候補した樋口秀雄の選挙事務所となり、当選しているのです。(樋口秀雄とは日夏耿之介の叔父にあたる方です)。選挙相手は平野桑四郎と言う政友会の候補者でした。(これは南信州新聞社発行の「郷土の百年」と郷土出版社発行の「飯田・下伊那の歴史」に載って居ります。)

 

 戦後には、一つとして、昭和27年頃に、当社で働きながら長姫高校定時制に通っていた幾人かの生徒の中に、朝日新聞社の社長になられた松下宗之さんが居ります。当時の父は長姫高校の同窓会長をしていて、定時制へ通い月謝の払えない生徒の面倒をみたり、雇うなどしていたことが当人から来た年賀状で知りました。(松下宗之さんのことは朝日新聞社発行の「燦々」に載っています。)

 

 そして、そうした環境の中で長男として生まれ、祖父母からは郷土史的な話しを良く聞かされました。そして妹弟たちとは、ちょっと別扱い的な育て方を受けたと感じています。結果としては我が儘で苦労知らずに、のんびり育ってしまったのです。これが、持って生まれた現在にまで継がる私の性格になってしまったのだと思っています。

 

 皆さん、お判りのとおり「三つ子の魂」とは恐ろしいもので今だに性格は直りませんが、然し、私の廻りには、良き指導者・先輩が、そして良き友人が面々として今日までも、お付き合いさせて頂いて居ります。そして多くの叱咤激励も戴きました。こうして見ると私の廻りからは、私にとって悪い人は離れていったのかなぁ~と思います。

 

 その代わりに、皆さんが味わったことのない苦しみ、にがみなど沢山の経験をしましたし、誹謗や中傷・苛めなども受けて来ましたが、自分ながら良く耐えぬいて来たものだと今は思って居ります。

 

 振り返れば、その時その場に応援してくれた人々、指導してくれた方々があったからこそと感謝しながらも、経験と実践と、もう一つは書物から得た知識など、誰にも奪われることのない私にとっては大きな財産として持つことが出来ました。然し、八十四歳に成らんとする年男ですが、大正5年から100年余続けた家業を継ぐ後継者が出来ず、終りにした寂しさと、先祖への想いが残って消えません。

 

 私は、仏教信徒の一人として、法然上人様の御遺訓にもあるように愚鈍の身ながら、智者の振舞いのないよう、そして戴いた思いは石にも刻み、心身をいまだ悩ました忘念は水に流し、一生懸命働けたことに感謝して、私が頂けている刻を大切に。健康に気をつけながら、趣味を糧として、おいしい日本酒を味わい、読みたい本にふれながら、旅をし、自然体で世間に迷惑をかけないで望みを追って生きていきたいと思って居ります。

 

 ロータリーも入会して42年。ロータリーの経歴が示すように末席を汚しながら、そして性格上皆さん達の遠慮を感じながらもお付き合いして頂いたことに感謝して居ります。どこまでロータリーに在籍ができるか判りませんが、今後も宜しくお願い申し上げ、私が84歳まで生きてきた素地と私をつくり上げた廻りの一部を紹介しまして、卓話とさせて頂きます。どうもありがとうございました。

「丑年生まれの性格を調べてみたら‥意外と当たっている!?」

宮下 正明君

(昭和24年1月生まれ)

 私が飯田南ロータリークラブに入会してから早くも16年が経過しました。

今年は2021年で十二支では丑年に成ります。昨年はコロナ禍で大変な1年でしたが、今年こそはそんな病原菌とおさばらして、皆様と健康第一に過ごしていきたいものです。

 

 怪談話によく登場する「丑三つ時」というのは、丑の刻にあたる2時間を4つに分割した3番目にあたる時刻、すなわち午前2時~2時30分までの間のことを指しているようです。また、中国の歴史書『漢書』律歴志によると、「丑」は「紐」(「ひも」「曲がる」「ねじる」の意味)で、芽が種子の中に生じているものの、出かかっていて表面に出てきていない状態を表しているといわれています。

 

 丑年生まれの人については、「努力家でマイペース」という事がよくいわれますが、牛が草を食べる時しっかりと反芻するように、何事もじっくりと考えて、納得がいくまではなかなか動き出しません。

 その代わり、いったん意思が決まると他人の意見に惑わされることなくマイペースで突き進んでいきます。温厚な性格で面倒見の良い人が多いので、リーダーとして頼られることも多く天狗になったりすることもありません。

 

 努力を惜しまずコツコツと我が道を進む丑年生まれの人は、頑固で意地っ張りな面も持っています。周囲から見て遠回りとなることをしていたとしても、本人は納得をしておこなっていることなので、助言には耳を貸しません。良い結果になればいいのですが、悪い結果になったとしてもそれをまた、使役に耐える牛の姿から想像できるように、我慢強く粘り強い人が多いのですが、ひとたび我慢の限界に達すると突然怒りだし、全て出し尽くすまで止まりません。日頃は温和なだけに、周囲は驚いてしまうかもしれませんが、だからといって誰かと大喧嘩になることはあまりないでしょう。

 

 

 相性の良い干支は、お互いの足りない部分を補いあい刺激となる子年(ねどし)や寅年(とらどし)、性格的に似たものを持つ巳年(へびどし)とは相性が良いです。明るい性格の申年(さるどし)や社交的な酉年(とりどし)も丑年の良い相談相手になります。

 牛は古くから酪農や農業で人間を助けてくれた大切な動物でした。大変な農作業を最後まで手伝ってくれる働きぶりから、丑年は「我慢(耐える)」、「これから発展する前触れ(芽が出る)」というような年になるといわれています。