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会員卓話 髙安 健之君

「山田風太郎との思い出」

 私が山田君と知り合ったのは終戦前の昭和19年4月で東京医大に同時入学した時である。そして翌20年春、当時全国的にあった学校の疎開で当時2年生だった私たちと3年生とが飯田にやってきた。そして同年の夏の終戦で東京に戻った。

 

 その頃から彼は主として推理小説を投稿していたが、江戸川乱歩に認められ、やがて一番弟子となっていった。

そして高学年になる頃から「俺、医者にはならない。だって原稿用紙一枚が何百円にもなるからだ」と言っていたのを覚えている。「ただ医師の資格は作家としても必要だから一年間のインターンと国家試験は受けるよ」と言っていた。

 

 江戸時代の蘭学医で有名だった緒方洪庵の孫で、学長だった緒方知三郎が卒業式で「今年の卒業生の中には天才がいる」と山田君のことを話して、皆びっくり驚いたことであった。

 

 風太郎は飯田と云う古い城下町の風景や温かい人情にひかれたのが、長いこと飯田を訪れてきた理由ではないかと思われる。去年からまた、風太郎ブームがはじまり、講談社、平凡社などの担当者が私のところに時に訪ねて来て話し合ったこともある。風太郎は一寸変わった人ではあったが心温かい一面もあったように思われる。