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新会員卓話

 

「自己紹介」 掛上 智章君

 

 出身は札幌で実家には両親と姉がおります。家族は川崎に住んでおり妻と大学2年の息子の3人家族です。妻とは就職して初めての勤務先、東京の支店で出会いました。7つ年上の大先輩でした。その頃から変わらず明るくてパワフルです。単身赴任の間、留守を預かってくれている妻に感謝しています。

 

 札幌の実家ですが、父方の祖父は奈良県の十津川出身で軍人であったことから終戦間際は樺太で家族と暮らしていました。当時、樺太は北緯50度以南は日本領で約40万人の日本人が暮らしており終戦直後も続いたソ連軍の侵攻から逃れるため、祖父以外は引き揚げ船に乗って北海道の留萌に辿り着いたそうです。

 

 その時の有名な事件としてソ連軍とみられる潜水艦の攻撃を受け沈没や破損するなどした三船殉難事件の一隻に乗船していましたが運よく難を逃れたときいています。母は茨城県水戸の出身で幼少期、戦時中に北海道に来て父と知合ったとの事で私の出身は札幌になります。また掛上とうい苗字は奈良の十津川に多いそうです。

 

 札幌の大学卒業後、バブル崩壊の始まった1990年に証券会社に入社し約30年近く証券業に携ってきております。入社当時の証券会社は「いちよし」ではなく「三洋証券」という会社でしたがバブル崩壊の煽りを受け会社更生法の適用により倒産、1997年4月より現在のいちよし証券に再就職しました。ちょうど山一や拓銀が倒産した時期です。

 

 再就職については苦い経験から「規模ではない財務体質の強い会社」「成長株に力を入れた成長性のある会社」「支店地域密着を大切にする会社」と感じた、いちよし証券に入社、名古屋支店に配属になり、現在に至っております。これから数年間、飯田でお世話になりますので、知り合いを広め、社会奉仕の機会の拡大と実践に向けて頑張って参ります。どうぞ宜しくお願い致します。

 

 

 

「私の夢」 長谷川敬子君

 

 今日は私の夢の話をしたいと思います。

 私は、「ふるさと泰阜村を日本で最も美しい村の一つにしたい」と思っています。2005年に大鹿村が「日本で最も美しい村連合」に加盟して以来、ここ10数年の私の夢であり、図々しくも、実現は可能と考えています。

 

 調べてみますと、NPO法人「日本で最も美しい村」連合は、2005年に7つの町村からスタートし、「フランスの最も美しい村」運動に範をとり、日本の農山漁村の美しい景観、文化を守りつつ、自立を目指す運動を始めたと言うことです。

 

 連合の参加資格がいくつかある中で、人口1万人以下は難なくクリアできますが、景観・環境・文化と言った地域資源が2つ以上あることは、これまでの資源を維持しながら整えていくことが必要となり、またこのような地域資源を生かす活動があること、という条件となると課題があります。

 

 当ロータリーが泰阜村を「青少年の森林活動」で支援していただいていることに元村民として敬意を表するとともに、私自身出来ることは何かを考え、例えば実家の前田を耕したり、周囲の草刈りや植栽をしたり、と実行している所ですが、皆様からもお智恵をいただければありがたいと思います。