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年男年女 大いに語る 子年 第1弾

60年の記者生活を語る 関谷 邦彦君 本年「還暦」恐れ多くも天皇陛下と‥今村 和広君 わたしの「道楽」石井 清美君

 子年は新しい運気のサイクルの始まりです。植物に例えると成長に向かって種子が膨らみ始める時期であり、未来への大いなる可能性を感じさせます。

 また「ねずみ算」と言う言葉があるほど、子どもをどんどん産んで数を増やしていくことから「子孫繁栄」の象徴でもあります。

 株式市場にも「子年は繁栄」という格言があり、株価が上昇する傾向にあると言われています。2020年の東京オリンピック・パラリンピックによる経済効果を考えると、その格言もあながち間違いではなさそうですね。

 そんな子年生まれの年男に大いに語っていただきます。

 

60年の記者生活を語る  関谷 邦彦君

 

 新年明けましておめでとう御座います。私も高齢者の仲間入りしていることは、日常生活のなかで痛感しています。しかし、今年7周目の「年男」となりますと、自分の人生を振り返り、あれこれ回想する機会が多くなってきました。誰もが言うことですが「長いようで短い」84年でした。

 

 私は昭和11年2月26日に生まれました。この日は、日本の運命を揺るがした大事件が勃発した日でした。2・26事件です。軍国主義が国をリードし、第2次世界大戦へまっしぐらに突き進むきっかけになる重要な日でした。当日は飯田でも大雪が降って難渋したと両親から聞いています。育ちが悪く、届け出は3月となりました。因みにあの長島茂雄もこの年の2月20日に生を享けています。

 

 さて、あれから84年、この世でなんとなく生きて参りました。一昔前は80歳前後まで馬齢を重ねると、「ご老体」とか「隠居様」といわれたものでした。近年は定年60歳時代は維持していますが、高齢化社会の到来で社会保障制度の行方を勘案し定年65歳、さらには70歳まで現役といわれる社会になりました。

 

 これに関連し人生100歳時代到来とまでいわれる、めでたい時代になりました。現在、平均寿命は女性87・32歳、男性81・25歳と厚生省は発表しています。しかし、気になる統計は「健康寿命」です。これだと男性74歳、女性75歳となっています。そうした意味からいうと7周目を迎えた年男も、洟垂れ小僧です。健康であることは、やはり両親に感謝しなくてはいけません。こんなことを念頭に新年をむかえました。

 

 けれども世代交代は人の世の常。何時までも出しゃばっていては、世の中が前進するために良いことではありません。次代を担う人材を育成することが我々に課せられた責務と思います。良く言われることは、社長の職務で一番大切なことは、次代を背負うより良き後継者を育成することとされています。このことを念頭に伊那谷にあってはリニア、三遠南信自動車道時代を前に、新しい伊那谷を背負う世代を輩出させるため、皆さんと頑張りたいと存じます。幸いにして、飯田南クラブも優秀な若手が揃っており、磐石とみています。

 

 仕事の話をしますと、いま伊那谷で唯一の日刊新聞となった南信州の最終編集を続けています。「誰かに任せば」という声がありますが、或る事情があって抜けることはできません。中小零細企業にあっては、人件費の重圧は経営の根本に関ります。止む得ず高齢になっても手伝っている次第です。こんな関係で本紙の締め切りは午後1時半のため、例会早退の常習犯となっています。これが叶えなければ退会となりますが、会員皆さんの理解と協力で早退を黙認していただいているので、会員として継続できているのは感謝するばかりです。

 

 私が地域新聞「南信州」に携わった24歳の年でしたから、早くも60年の歳月を過ぎました。この頃の日本経済は「なべ底景気」未曾有の就職難時代でした。昨今、氷河期世代といって就職難の経験を嘆いていますが、そんな生易しいものでは在りませんでした。進学するための準備もアルバイト先はゼロに等しかった。高校時代怠けていたため勉強しなくてはと教科書を広げても、家族や近所の冷たい視線がありました。大学受験のための「浪人」という言葉が無かった時代です。そんななか、格好のアルバイトとして、当時では最も給料の低かった地域新聞社にたどり就き今に至ったわけです。進学を止め断腸の思いだったのを覚えています。

 

 参考に言いますとこの年になり同級生と当時を振り返りますと、自分自身が甘かったと反省するばかりです。ある友は浪人中、東京で魚屋の丁稚小僧になり蛍雪時代を重ね、東工大に進学、三井物産の幹部に、また友人はやはり新聞配達など苦労を重ね一橋大から証券会社へ。親戚の伝で東京の大手食品会社に請われて婿入りしました。倒産時同期入社社長が「社員は悪くない。責任は私に」と記者会見で号泣する姿をテレビで視て感無量だったそうです。その君は喬木村出身、わが会員にも従兄弟がいます。人生さまざま「塞翁が馬」ですが、やはり頑張り屋さんは、後楽するのは確かです。この点、自分自身見習うことばかりの人生でした

 

 地域の新聞記者として最重点にしたのは地域の発展繁栄でした。「なんとしても他地域の遅れをとってはならない」を最優先にしてきました。そのためには交通網の整備改良でした。このためのキャンペーンを最優先にしてきました。国県道の整備、鉄道飯田線の改良、さらには中央自動車道、国鉄中津川線の開通。このあと、三遠南信自動車道、中央新幹線です、いま三遠南信道、リニア中央新幹線が現実に工事が始まっているのは隔世の感があります。

 

 こんなことで取材先は政治家が主でした。この間、市政も兼ねて担当をしたのですが、政治家にはお世話になりました。地元でいうと中央道の中島巌、小川平二氏、実現しなかったが中津川線では宮沢胤勇氏、新幹線では辰野出身の野沢太三氏などで走馬灯のように回顧します。それ以降のお世話になった宮下創平氏。三遠南信道の実現に尽力した中島衛、宮下一郎氏などは生生しいので割愛しますが、地域発展では功労者であることは当然です。特に衛氏は高校の同級生で昵懇の間だったので、切ない思いをします。

 

 60余年の記者生活を語るには舌足らずですが、皆さんと同様、リニアと三遠南信道が予定通り開業、開通することを念じ終わたいと存じます。

 

 

本年「還暦」恐れ多くも天皇陛下と‥  今村 和広君

 

 私が生まれましたのは1960年になります。成人したのが1980年、40歳までの青年会議所を卒業したのが2000年、今年60歳になりますので、2020年と西暦にしますと区切りが良くて非常にわかりやすい年になります。

 

 今年度のクラブ会報に、「私の自慢」というコーナーがあります。自慢する事がなかなか思いつかないのですが、唯一自慢できる事と言えば、昨年の5月に元号が、平成から令和に変わりましたが、元号が変わると同時に即位をされました現在の天皇陛下と同じ年に生まれまして、同年で、誕生月も2月でいっしょになります。これが、唯一の自慢になっておりまして、ただ残念ながら天皇陛下と共通している点はそこだけで、あとは何一つ共通しているものはございません。

 

 また、ネズミ年生まれの人の性格的特徴を調べてみると20個程ありまして、簡単にまとめてみますと、明るく周りの環境へ適応する能力が高いので、調和を図るのが上手いのですが、周りに気を使いすぎて中々本音が言えず、ストレスが溜まる事もあるようです。いずれにしましても、比較的良い評価をされている特徴は覚えておいて、あまり良くない評価の特徴は忘れるようにしたいと思っております。

 

わたしの「道楽」  石井 清美君

            

 皆さん本年もどうぞよろしくお願いします。今年は平穏無事で安全・安心に生活できる年にしたく、漢字一文字で「安」を掲げさせて頂きます。皆さんの漢字一文字はなんでしょうか?

 今年で6回目の年男を迎え、何時までも自分の好きなことができる、いわゆる「道楽」に励みたいものです。

その為にも、体力体調を整え、家族や友人、知人の協力も得ながら金銭的にも、時間的にも、余裕をもって楽しみたいものです。

 

 私は根っからの乗り物好き、車好きで、いろんな乗り物や車と出会い、実際に動かしてみて、大いに楽しませていただきました。また、大きな声を出すことが好きな私は高校3年間、応援団員として大声を張り上げ、皆さんを応援して来ました。

 

 母の歌好きの影響もあり、縁あって39歳で吟詠の世界に足を踏み入れ、現在も南信州飯田岳風会の一員として、詩吟を楽しんでいます。現在、8段ですので当面、9段、10段を目指し、練声に励み、清風から清岳の雅号を頂けるように、楽しみながら精進して参ります。皆さんの中で、詩吟に興味を持ち、やってみたい方がありましたら、歓迎しますので、声をかけてください。

 

 これからも、吟を愛し、愛車のトヨタクラウン、ラウンドアバウト、スポーツを愛し続けて大いに楽しんでまいります。