キーワードは「35」久保田秀文君 「ミッキーマウス」のように 柴田 洋忠君 「団塊の世代」園原 達郎君
「ねずみ=寝ず身」とされ、真面目にコツコツと働く人が多いようです。倹約家で不要なものにお金を使わないため、若いうちから財を成すことができます。
鋭い勘とひらめきを持ち「火事の前にはねずみがいなくなる」「ねずみは沈む船を去る」などのことわざがあるほどです。どんな状況でもその危機察知能力を活かせば、人生を難なく歩んでいけるでしょう。
また、ねずみはどこでも生きていけるだけに、人や場所をえり好みしません。環境への適応能力が高く、誰にでも合わせられるのが特徴です。コミュニケーション能力に長けているので、自然と周りに人を惹きつけるでしょう。その反面、恋愛となると不器用になり、なかなか気持ちを打ち明けられません。しかし、ひとたび恋が実れば相手のために一途に尽くすとか…?
そんな子年生まれの年男に大いに語っていただきます。
キーワードは「35」 久保田秀文君
現在、ロータリー歴 37年で、今年の7月に84歳を迎えます。ロータリーの思い出として、私の会長年度の1コマから、当時の奇抜な話を書かせて頂きます。と 言いますのも、現在の会員で、当時の『クラブ35年度』を知る会員は23名だけで、あと47名の会員は、私の、この例会 及び 式典を知りませんので、卓話と会報も書くことになりました。
〔2000年~2001年〕平成12年7月からクラブ第35年度です。運・悪く、会長が私になりました。この記念すべき一年間を【楽しみながら キーワードは35】という会長方針で、あらゆる機会に【キーワード35】の演出を行いました。その中でも、年間例会47回のうち、35回目の例会が、 第1705回(いいなれいかい)なのです。これが3月の5週目に当たり、私は、この日を『祝 特別記念例会』にして、【キーワードは35】で塗りつぶしました。
まず 時の会員数は、なんと91名です。私は*3重の5縁が、ありますように (30円と5円) ピカピカの新硬貨35円に『ご挨拶』文を添えて、全会員に配りました。*いや!驚きました! 今でも、これを持っていて下さる方が、おいででした。会長エレクトの、橋上信久さんです。
当日、*例会場へ入場した35人目の会員は(高坂会員)でした。記念品として、宝焼酎の「純」レジェンド35℃×3本をプレゼント。*35番席に座った人、故 尾太滋さん。記念品は、エビス生ビール 350㎖×5本を提供しました。◆経費はすべて私費ですのでご安心ください。
《おめでとう 祝35周年》 天井から吊るした、クス玉割りの、演出も、会場に(笑)と拍手で、ムード は充分でした。【キーワード35の特別記念例会】ですから、当時のデータをご披露します。
*R歴35年の会員は5名。*昭和35年に結婚した会員は4名。*結婚35周年を迎えた会員は5名。*1935年生まれの人1名(故 梅本会員)。*入会順で35人目の人(田中正彦会員)。*名簿のあいうえお順で35人目の人(酒井寛会員)。*生年月日順で35人目の人(横田盛廣会員)。*35人目のP・H・F (土屋昌亮会員)。*35人目の米山功労者(宮下正文会員)でした。*電話番号やFA✕に35のある人は、それぞれ各4名づつ8人でした。
実は、この『記念例会』に、大先輩の高安会員に、『記念卓話』 をお願い致しました。先生は、“久保田会長の【キーワード35】の姿勢には《もののけ》に取りつかれたとしか思えない執念が伺える。何事にせよ、ここまで徹底することは見事だ”と 褒めてくれました。が、私が もっと、この卓話に感謝しますことは、先生は、卓話の内容に 《JCの設立総会が、昭和35年・JCを出て35年・R生活35年》と、私の思いである 【キーワード】を応用して、特別記念例会に、花を添えてくださったことでした。高安先生;ありがとうございました。
奇抜と言えば、『歩こう会』では、飯田線を活用して、貸切“JRゲタ電で行く 遠山温泉郷“でした。貸切りですから、通路に長テーブルが、配置され{走る大宴会}が始まりました。車体の揺れは心地よく、気分もよろしく、電車を降りて⦅歩こう会⦆です。憩いの場所は、かぐらの湯です。先ずは、お風呂です。脱衣室の番号で*【キーワードは35番!】と 嬉しい声が、響いて来ました。愛嬌となって、大笑いです。(下村会員でした)。平岡駅からゲタ電の帰路、ズッコケ・カラオケで【歩こう会】ならぬ《アルコール会》は佳境に入りました。こんな《歩こう会》 の企画は、二度となさそうです。 (出席委員会・中島先生の企画でした。)
8月の《納涼例会》では、【スピリット35】と、命名された水風船の手渡しゲーム。親睦担当委の皆さん!相当に練習されました。優勝賞品は¥3,500。その他の賞品が、それぞれ¥350でズラリと提供されました。ここでも 【キーワード】 が、生かされました。
*《35周年記念式典》での、記念事業の目玉は、飯田市へ《福祉用 介護自動車》35台を寄贈しました。うそ です。1台です。そこまで、【キーワード】は、は ま り ませんでした。
終わりに 例会とは別ですが、⦅あなたに取って 今 一番大切なものは何ですか?⦆と問いかけたTⅤ番組が ありました。何んだと 思います??
スタジオの参加者と、一般のアンケートから、まとめられた、その結果は、第2位が《健康》でした。そして、第1位は、子ども3人と夫婦の5人の《家族》でした。3と5=キーワードでした。
今 一番 大切なもの。それは、【家族】 と言うことです。うまく はまった ところで、終わります。
「ミッキーマウス」のように 柴田 洋忠君
1972年1月3日生まれのねずみ年男、柴田洋忠です。1月3日というのは、学校は確実にお休みですので、子供の頃、誕生日当日友達に「しばちゃん、誕生日おめでとう!」などと言ってもらったことが無く、悲しい少年時代を過ごしました(笑)。また、私がまだ子供の頃(祖父がまだ社長で父が専務時代)は、3日(よりによって私の誕生日)に会社の幹部を自宅に招いて新年会と称し昼間からお酒を飲んでいた為、祖父、祖母、父、母、姉、叔父、叔母、いとこ、全員が夕方には疲れ果て私の記憶では1度も誕生日ケーキを食べた思い出がありません(泣)。しかし1月3日前後の子供にとってのビッグイベントであるクリスマス、元旦のお年玉、誕生日プレゼントは、日が近いからといってまとめられることなく、全て別々にちゃんと貰うことができました。
さて、「ねずみ」と言えば世の中的にはあまり良いイメージの動物ではありません。例えば、ドラえもんの耳をかじって本来黄色のドラえもんを青色にしてしまったのもねずみ、マルチ商法の「ねずみ講」、交通取締まりの「ネズミ取り」、大昔の高床式倉庫で使われた「ねずみ返し」などがあげられます。一方1885年(明治18年)に発行された我が国初の日本銀行券には、米俵の上に座る大黒天の傍らにネズミが可愛らしく書かれていますから縁起の良い生き物でもあります。
さて、ここからが卓話の本題ですが、私は中学(飯田東)を卒業してから私立の高校に進学したため15歳で飯田を離れました。その後大学、大学院に進学し30歳、2001年に飯田に戻ってきました。30歳までの人生の半分は飯田ではない所で生活していましたの、戻ってきてから色々カルチャーの違いで「おもしろいな」と感じたことをお話しさせて頂きます。
だら、だに、だもんで、のような方言も初めは慣れず違和感がありましたが、それ以外のお話です。
まず一つ目に、街で知り合い(余り仲良くもないまあまあ知り合い)にお会いした時に、「こんにちはぁー。」とここまでは自然(当たり前)のやり取りですが、必ず相手の方は「こんにちは」の後に続けて「お世話になりますぅー。」とおっしゃるのです。私は心の中で、「えー??全然この方そんなに知らないし、全然お世話なんてしてないよぉー」と思っておりました。
二つ目に、またまた人に会って、(今度の場面は夕方でそれなりに少し会話もするくらいの知り合い)私が「それでは失礼します」と言ってその場を去ろうとしたときに、相手の方は必ず「それではおやすみなさい」とおっしゃるのです。私はまたまた「えー?!まだ夕方だよ?この人もう寝ちゃうの?」と思っておりました。
三つ目は、もう少し仲良しになって、会社でお茶くらい出してそれなりにお話しするくらいの相手がお帰りになる時に、「それじゃ、ちょうだいしました。」と言って立ち上がるのです。「えー?!お茶は出したけど、何にもプレゼントしてないし!」と思いました。
あれから18年の歳月が流れて、今ではこれらの会話の流れにもすっかり慣れましたが当時は困惑しておりました。
ねずみ講や、ねずみ取りのような悪いイメージもあるねずみですが、私は世界で愛される「ミッキーマウス」のようなキャラクターになれるように今後とも精進してまいりますので、皆様のご指導ご鞭撻をよろしくお願い致します。
「団塊の世代」 園原 達郎君
1月3日に6回目の年男を迎えることができました。
所謂、昭和22年~24年生まれの(800万人)「団塊の世代」で、堺屋太一さんが昭和51年に発表した同名の小説のタイトルから、以後そのように呼ばれるようになりました。「戦争と飢えの恐怖」を知らない最初の日本人と言われておりますが、中学生の頃は担任には「お前たちは死ぬまで戦争だ、墓場まで競争だ」と言われ続けておりました。私たちが生まれた昭和22・3年頃の国内はまだ戦後の混乱期ではなかったかと推測を致しております。
今年の新成人が全国で122万人、昨年生まれた新生児が86万人で団塊の世代の其々2分の1・3分の1、今生まれてくる子供の平均余命は107歳、今50歳以下の人たちが100歳まで生きられる可能性が50%とも言われており、人生100年時代、超高齢化社会がすぐ目の前に迫って来ております。社会保障と経済の支え手が激減し気候変動による自然災害も加わって身をすくませたまま身動きが取れない、国の借金だけが増えてゆくのではないかと心配をいたしております。
今の少子化を招いた核家族化を生み出した世代とも言われており、有史以来最も恵まれた時代に生きさせていただいた一員として、自分たちのツケを出来るだけ次の世代に残さないよう、もうひと踏ん張りできたらと考えております。