卯年生まれの人は、愛嬌があって人から好かれやすいという特徴があるそうです。
にこやかで笑顔を絶やさず、いつも楽しそうで周囲からの好意を集めやすくなっています。
また、器用で何でもそつなくこなせるという特徴もあります。勘が良く、ポイントやコツをすぐに押さえることができるため、初めて体験することでも短時間でこなすことができます。
それもこれも、争いごとを好まないという性格に起因しています。交友関係が幅広く、人脈が豊かということも、卯年生まれの大きな特徴の一つとなっています。
さて、我がクラブの年男の方々はいかがでしょうか??
「春草会」昭和26生まれ 大田中峰雄君
昭和22年10月、春草第37回忌法要が菩提寺柏心寺において営まれました。そのとき春草会は発足しました。この年の4月5日飯田の大火が発生した年であります。
当時の新聞には、「春草を生んだことはわが飯田の誇りでもあると共に、その画業は日本が世界の美術界に自負しうる文化の華であると信じます。しかるに、春草作品は、従来これを尊重し、愛好する幾多の具眼の士を有しながら、多くは単なる蒐集秘蔵にとどまり、しばしば偉業顕彰、遺跡保存の計画がなされても、遂に今日まで、実現を見るに至らなかったのは誠に遺憾なことであります。」と、書いています。
ここに、37回忌を機として、飯田市文化協議会により春草顕彰事業が企画され、その母体として、春草会が結成され現在に至っています。今年で76年目にあたります。
設立趣意書には「春草顕彰は我々飯田市民の文化的責務であるという信念のもとに、あえて同志の奮起を切望します。」と記され、初代会長は飯田市長の高田 茂氏でありました。
収蔵作品としては、白き猫のほか、武具の図、羅漢図、白鷺、高士の図、などがあります。そのほか、資料として貴重な書簡も有しているほか、複製画として落葉の屏風があります。
多くの皆さんの入会をお待ちしております。
「教師になる夢」昭和38年生まれ 渡邉 秀樹君
渡邉です。今年60歳だそうです。小学校の時には、60歳はおじいちゃんです。その時の自分に一言『60歳はおじいちゃんではありません』
言葉がすぐに出てこない。頭から体への伝達がうまく機能しない。脚立・はしごは右左のありを交互に出し飛び跳ねるようにのぼったりせず、1段、1段、ステップに両足をそろえてから、次に進みますが‥。これは老いではなく保険です。倒れて迷惑をかけてはいけないと考えているからです。
その少年時代には、「教師」になりたいと夢を持っていました。教壇に立ち黒板を使用し児童の前に立つこと3回以上。ツリークライミングがきっかけで夢がかないました。PTA会長もさせてもらいました。信号のない交差点に一日も休まず立った校長先生。伊賀良で火事があると児童が火を見て震えていないかと夜でも駆けつけることも。
風越寮長さんよりサンタクロースの姿になりプレゼントを持ってゆく校長先生。病気で自宅療養のお子さんに登校できるまで空き時間に通った校長先生。校歌も自然と覚えた私。
で思ったのは母校で会長ができたらどんなに素晴らしい楽しい日々であったかと6年生だった担任に電話。そのことを伝えたら『ごんべいくん。母校でできたと思う!』…。伊賀良小学校卒業生であれば、PTA会長にはなれなかった。こんな経験できなかった。出会いに感謝!話を聞くことが大切。60歳これからも出会う方にいろいろ聞いて成長できるおじいちゃんになってみたいと思います。
「中津川―さがみの乱」昭和26年生まれ 蒲 秀雄君
いよいよ6回目の年男になってしまいました。来週1月19日をもって72才になります。この前、古希のあいさつをしたと思っていましたが、早いもので、もう2年たってしまいました。
やはり70代の声を聴くと体のあちこちにガタが来るし、農作業をしていても15分働いて10分休むとか、仕事にならない。そして物忘れのひどさ・・会社でも2階から1階に降りてきたときに何をしに来たか忘れて、もう一回2階に戻ると思いだすという始末・・・・
今日はロータリーとは離れて、何年か前のはずかしい事件を、ご紹介させて頂きます(訳ありなので・・フィクション風で・・)
彼は飯田市で建築関係の仕事をしている。岐阜県中津川市にも営業所がある。その日は、中津川事務所経由で木曽方面に行く用事があり、しばらくぶりに事務所で用事を済ませたら調度昼飯時。当時よく行ったことのある国道19号線沿いの「さがみ」という和食屋さん(ソバなどもおいしい全国区の店)に入り、定番のそばとミニ丼(ネギトロ)セットを注文した。
食後少し時間に余裕があったので車中で食後の昼寝をしたが、目覚ましをかけ忘れ、少し寝過ごしてしまった。慌てて起きると、店の前の19号線は、いつも混んでいるのに、時間帯のせいか周囲には一台の車もなく、スムースに木曽方面へと右にハンドルを切り、アクセルを踏み込んだ。
300Mほど向こうの信号までは2車線のまっすぐな見通しで、調度赤信号だ。ところが赤信号の向こう側の車は全車がこちらを向いて青に変わるのを待っているではないか!(信号交差点がすり鉢状になっていて信号待ちの車10台ほどが停車しているのが良く見える)・・
あれ?道がないぞお?どこへ行けばいいのだ?・・って・・そこで彼は初めて気が付いた(逆走だあ~・・・)
慌てて、左を見ると、中央分離帯フェンスの向こう側、2車線を並行して車が何台も走っているし・・運転手も何か手招きをしている・・即効ブレーキをかけてUターンすればいいのだが、パニック状態で行動に移せない。右に入る道を探しているうちに信号は青に変わり、全車がこちらに向かって発車しだしたところで、彼は我に返り、あわててUターンをした。
追いつかれてしまうと恥ずかしいし、猛スピードで「さがみ」を通り越し、次の信号を何事もなかったように木曽方面に向かって折り返した。間に合ったあ~・・・
彼的にはこれを「中津川―さがみの乱」と記録している。
ひとはパニックに陥ると正しい判断ができず、すぐ次の行動に移せないことがよくわかりますね・・あぶない!あぶない!皆さまもお気をつけあれ。